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未来を紡ぐ他者としての子ども

【2009/10/12】

「特別支援教育」は、時代の趨勢である。つまり、「普通学級で、障害児を教育する時代」になった。それは、「彼らを差別しないために行う」ものである。


  • 辞書には一般辞書と専門辞書の二つがある。例えば「広辞苑」「大辞林」などは一般辞書、医学では、「南山堂の医学大事典」、「ステッドマン医学大事典」、「医学書院医学大事典CD-ROM」などが ある。辞書を利用しながら、分かったことがある。それは、一つの辞書のなかに別の辞書からの引用文がないということである。使う方からいえば、原典を明らかにすれば引用してもかまわないと考えるが、版権(著作権)や知的財産権で、著作者の権利が守られているからである。
    世の中に「素人」と「専門家」がいる。特別な教育を修めたものが「専門家」、そうでないものを「素人」という。しかし、小説家(文豪)などの多くは、自己研修を積み、独創的な境地に達したものが多 い。ヒトの知性は「教育」になじまないものが多いことも確かである。

    大学(学術の研究および教育の最高機関)には、「理系」と「文系」の二つがある。大学は、「教師の育成機関」で、歴史的にみれば、それを維持するために作られた。
    しかし、それが、最近、変わってきた。一つは「実学」教育で、実学とは「実際に役立つ学問。応用を旨(むね)とする科学。法律学・医学・経済学・工学の類。(広辞苑)である。しかし、大切なのは、もう一つの方で、「専門学校」卒業生の社会的ニーズの向上と、社会の必要性の変化したためである。一つだけ例をあげれば、医療環境の変化で、「救急救命士」の不足が社会問題となっている。


  • 更に、その傾向に拍車をかけたのが、「特別支援教育」(メンタルヘルス)という考え方である。(現代用語の基礎知識2008.Logovista辞典プラウザ)
    これは、煩瑣であるが、大切なので、その内容を引用することにする。
    「それは、学校教育法の一部改正で障害のある子どものための特殊教育を特別支援教育と言い換え、障害のある子を対象にした総合的な支援教育と位置づけて推進することになった。 
    具体的には、盲・ろう・養護学校の特別支援学校の制度が一本化され、小中学校の特殊学級は、特別支援学級に変わった。
    これまでは対象でなかった学習障害や、衝動的な行動のある注意欠陥/多動性障害のある子どもたちも、新しい制度では週1~3時間程度、普段(一般生徒)の学級から離れて少人数教育を受けることができるようになった。
    学習障害(LD)や注意欠陥/多動性障害(ADHD)の場合には、必ずしも特殊学級に終始いる必要はないものであり、ある限定した時間指導教育を受けるために特別支援学級に入るというのは、きわめて妥当なものである。(後略)彼らを差別化に落とさないためにも、重要な教育方針だと考えられる。(了)一般生徒も、問題のある子と協同で学習することで、「ヒトの多様性」と「がまん」を学ぶ効果がある。


  • その必要性(ニーズ)の変化についてすこし説明しよう。
    地球上で「生物」ができたのは、今から36億年前といわれる。
    生物とは、「生きもの。生活しているもの。一般に栄養代謝・運動・生長・増殖など、いわゆる生活現象をあらわすものとされるが、今日では増殖を最も基本的・普遍的属性とみなしている。分類学上は生物界のこと。⇔無生物。」(広辞苑)である。つまり、生命は元は一つのものである。一つのものが多様化して、現在の地球上で生存している。しかし、水の中に住む魚と、陸の上で住む動物とは、酸素の利用の仕方、つまり、「住む世界が違う」。それらは「共存」している。「共存共栄」(ともに生存し、ともに繁栄すること)


  • 子どもについて、今まで大人をミニチャ(小型模型)、または、親の従属物と考えてきた。しかし「生きているもの」つまり「自ら発達する存在」として認識する視点が浮上してきた。その考えを紹介するため「未来を紡ぐ他者としての子ども、木田盈四郎著」(帝京平成大学紀要第20巻1号。2009.3.P135~143)を書いた。 2009.6.1.