この国は病んでいる
【2008/07/10】
●東大名誉教授、多田富雄さん、(朝日新聞、08.6.10.p3,「聞く」欄)
多田富雄さん(74)は世界的な免疫学者で「能」作者、文筆家である。脳硬塞に倒れて7年。日々、後遺症と戦いながら、何とか左手だけでパソコンを打ち、命の言葉を紡いで来た。最近、社会に向けた発言が増えている。パソコンを通じて聞いた。
この頃、私はこの国の行方を深く憂えています。一言で言えば、私には国自身が病んでいるように思えます。
戦後の復興期には、私たちも貧しかったが、少なくとも人間らしい健康な日常がありました。そして誰もが意見をもっていた。学生だって、時には反体制の運動に走るくらい元気がありました。
ところが最近は、暮らしの原理ともいえる憲法を改正する国民投票が強行採決されても文句も出ないし、デモらしいデモもおこらない。
昭和の日本には社会の中心となる健全な中流が育っていました。日本はこの健全な中流に支えられていたのです。それが過剰な競争と能率主義、成果主義、市場原理主義で「格差」が広がり、もはや中流はろくに発言できなくなった。健康な社会ではなくなった。
一昨年4月から施行されたリハビリの日数制限、そして今年始まった後期高齢者医療制度など、市場原理主義にもとづく残酷な「棄民法」としかいいようもありません。
日本はいつからこんな冷たい国になってしまったのでしょう。病にかかっているとしか見えません。
●「病める国の政治こそ問題」「秋葉原事件に思う」(朝日新聞、08.6.18.声欄、P15.)
アルバイト 鬼腹悟(千葉県松原市 54)
無差別殺傷事件の詳報を伝える10日の新聞の別の記事で東大名誉教授の多田富雄さんが「この国は病んでいる」と痛切に指摘されている。
病気はよわったところに発症する。今回の凶悪事件は「病める国・日本」の表出そのものでないか。容疑者を免罪するつもりは毛頭ないが、決して異次元の特異な事件でも、他人事でもない。
派遣労働者がうけている非人間的扱いは、企業の容赦ないリストラや過労死と同根だ。新自由主義の「構造改革」の下で荒れ狂う弱肉強食の競争社会は貧富の格差を広げただけではない。思いやりや協力の心を奪い去り人々を孤立の寂寥感に閉じこめる。家族という共同体の小舟もその嵐に大きく揺れている。相次ぐ親族殺人や年間3万人を超す自殺も「病める国」の発症事例ではないか。
病原はこの国の政治に他ならない。だが、同時に病気を治す力を持つのも政治である。国の病死を座視できない。主催者である我々一人ひとりが処方箋を考え、政治を治療に向かわせよう。
●仮想の「死ね」現実化が怖い「秋葉原事件に思う」(朝日新聞、08.6.18.声欄、P15.)
パート 鶴田梨重(埼玉県入間市 46)
容疑者のセリフ「みんな死んでしまえ」。十数年前、幼い子供たちからも似た言葉が発せられた。
高3の長女が小1の時二人の子にゲーム機を買い与えた。途端に幼稚園の長男とのけんかが無くなった。会話がないからトラブルも無くなる。怖くなって時間制減をした。数年後、流行もありテレビゲーム機を与えた。友だちは遊びに来るが、会話が無い。ゲームに夢中になり「やられた」「くそつ」という声が聞こえるのみ。姉弟間では1台のゲーム機を取り合い譲り合わず、けんかが始まった。ゲームに熱中し「死ね」を連発するようになった。怖くなって封印した。子どもは外で遊ぶようになって「死ね」は口にしなくなった。
年々、映像がリアル化しているという。新聞を読むと、ゲーム機やソフトが日本経済を支えている面もあるようだ。しかし昨今の凶悪犯罪に、この影響は皆無と言えるか。仮想世界の「死ね」が現実化しないと誰が言い切れる。政府は分析調査を急ぐべきだ。