アトピー性皮膚炎のことなら株式会社日本オムバス ホーム Dr.木田のブログ > 夏目漱石の胃潰瘍はピロリ菌の仕業

夏目漱石の胃潰瘍はピロリ菌の仕業

【2007/07/10】

夏目漱石の胃潰瘍はピロリ菌の仕業だった?(篠田 達明、整形外科医にして作家、1962年名古屋大学医学部卒。主な著書に「徳川将軍家十五代のカルテ」「歴代天皇のカルテ」(新潮新書)などがある。):日経メデカル2007.3、p192. エッセイ、病と歴史への招待第12回)

明治の文豪 夏目漱石は甘いものに目がなかった。執筆に倦むと茶の間の戸棚を開けたり閉めたりしてしきりに菓子を物色し、饅頭や羊羹をつまんでは胃を損ねた。苺ジャムをひと月に8缶も空にして医者に止められたこともある。鏡子夫人は子供達のために作ったアイスクリームやケーキを夫に分からぬように隠したりした。

漱石は生前「死ぬ時は苦しみに苦しみ、<こんなことなら生きているより死んだ方が良い>と納得してから死にたい」といったが、そのことば通り壮絶な最後を迎えた。漱石が現代に生きていて胃潰瘍はピロリ菌退治で治ると知ったら、今度は何と云うだろうか。

夏目漱石:栄文学者・小説家。名は金之助。江戸牛込生れ。東大卒。五高教授。1900年(明治33年)イギリスに留学、帰国後東大講師、後に朝日新聞社に入社。05年「我が輩は猫である」、ついで「倫敦塔」を出して文壇の地歩を確保。他に「坊ちゃん」「草枕」「虞美人草」「三四郎」「それから」「門」「彼岸まで」「行人」「こころ」「道草」「明暗」など。(1867~1916)

明治43年6月、42歳のとき東京・内幸町の長与胃腸病院で胃潰瘍と診断され、6週間の入院治療をした。珍妙だったのは同院のコンニャク療法である。腹部を二枚のコンニャクで暖めるのだが、皮膚が火ぶくれができるほど熱く、本人も「痛いこと夥(おびただし)し」と悲鳴をあげた。/ 退院後は修善寺温泉ヘ療養にいったものの、宿に入って8日目の8月17日に100g19日に180gの吐血をみた。24日にはゲエーと無気味な音を立て500gの血を吐き人事不省となり、多くの仲間や門人が宿に駆けつけた。のちに「修善寺の大患」と呼ばれる大事件である。8月末、ようやく快方に向かい、始めて口にした粥を味わって「こなに旨い物はない」と悦びにひたった。

漱石は22歳のときの身体検査で身長158.7センチ、体重52.3キロ、胸囲79センチあったが、鏡子夫人によれば、度重なる胃病のため晩年は痩せが目立ち、髪や髭もすっかり白くなって老け込んだという。/ 大正5年秋、4度目の胃病が生じた。12月2日の午後、排便の際自ら腹圧を試みた瞬間、また急に倒れて昏睡状態に陥った。/ 絶対安静をはかるも12月9日午後6時危篤状態となり、不治の客になった。享年49。翌日、東京帝大病理の長与又郎博士の執刀で病理解剖が行われ、胃潰瘍からの大量出血による失血死と判明した。

近年、豪州のマーシャルとウオーレンは胃炎や胃十二指腸潰瘍の成り立ちにピロリ菌の感染が深く関わっていることを発見し、2005年度ノーベル医学・生理学賞に輝いた。最近の新聞報道によれば5万8000年前のアフリカの人類にもピロリ菌が見つかったという。とすると漱石の胃壁にもピロリ菌が巣食っていたことは十分考えうる。

● エカベトナトリウム [英] ecabet
sodium  松香成分の誘導体テルペン系化合物の抗潰瘍剤で防御因子増強作用を示す。胃粘膜損傷部の被覆保護(バリアー)作用や抗ペプシン作用のほか,消化性潰瘍や胃炎との関連性が指摘されているヘリコバクター・ピロリ菌に対してウレアーゼ阻害作用に伴う抗菌作用を示すことが確認されている。また,内因性プロスタグランジンを増加させて胃液分泌を抑制し,粘液分泌や粘膜血流など胃粘膜防御因子を増強する。副作用は便秘など。【商】ガストローム。